アンタルヤ

トルコで最も人気のある大型リゾート地といえばアンタルヤ。近年になって中心部からそのエリアを拡大していっています。アンタルヤの中心部はカレイチ(城壁内という意味)とよばれており、レストランやブティックホテル">ホテル、商店などが集まっています。アンタルヤの町中には近郊で発掘された作品を集めたアンタルヤ考古学博物館が有名です。

アンタルヤ郊外にはデュデンやクルシュンの滝など夏でも清涼感を味わえる場所があります。空港からも近いエリアは埋め立てにより大型ホテル">ホテルが数多く建てられています。この地区のホテル">ホテルではホテル">ホテルから1歩も出ることなく休暇をのんびりと楽しむことができます。

中心から40分ほど離れたベレック地区には多くの国際的なゴルフ場がならんでおり、ゴルフ場に併設した大型リゾートホテル">ホテルからのシャトルバスにて簡単に移動もできます。アンタルヤ郊外には魅力的な遺跡も点在しており、ペルゲ、アスペンドス、シデなどの遺跡やケコワの海底遺跡やミュラの聖ニコラウス教会などのツアーに参加することをおすすめします。

ミュラとケコワ

ミュラ近郊にはリキア時代につくられた王墓や遺跡などが残っています。ミュラの円形劇場のそばにはサンタクロースでおなじみの聖ニコラウスが殉教したといわれる場所があり、その上に教会がつくられています。今でもモザイク画の床や壁画などが残っています。

またミュラのさらに西側には地震で沈んだといわれるケコワ島の海底遺跡があります。クルーズ船にて観光が可能です。

ペルゲ

アンタルヤから東に約15キロほどの場所にあるペルゲはローマ時代に栄えた町。アレクサンダー大王やローマ人の支配のもとで繁栄していました。また聖パウロがこの地で説教したと聖書に記されていることでも有名です。町の入り口には印象的なヘレニズム門や12000人を収容したという競技場、ローマ浴場跡などのみどころがあります。

 

アスペンドス

アスペンドスはアンタルヤの中心部から約44キロの場所に位置しています。ここは保存状態のよいローマ劇場として有名です。この地方一のキョプルチャイ川そばの小高い丘の上に位置います。古代から栄えていたアスペンドスは、今日ではこの劇場を訪問する多くの観光客で賑わっています。神とその時代の皇帝へのささげものとしてつくられたこの劇場は既存の建築様式を取り入れただけではなく、独特の様式も取り入れてつくられています。観客席の上部ならびに中部はディアゾマと呼ばれる通路で分断されており、全体で41列で構成されています。パロドスと呼ばれるメインの入り口の上には貴賓席が備えられていました。観客席の最後列の後ろには58のアーチ上の柱で囲まれたギャラリーがあります。全体で7000人以上を収容することができ、当時作られた劇場の中で最も大きいもののひとつでした。マルクス・アウレリウスの時代に富豪のキュルティウス兄弟によって建築されました。その後セルチュク時代に修復されています。

毎年夏には‘アスペンドスオペラ・バレイフェスティバル’がトルコ文化庁の後援によりこの地で開催されます。

また劇場の他にアスペンドスには水道橋の一部も残っています。これは今日でも残っているものの中で最もよく保存されている古代水道の一つで、約1キロの長さがあります。

またそれ以外の遺跡としてアゴラ、バジリカ、泉、市議会室などが残っており、そこから発掘された記念アーチやヘレニズム時代の寺院などはアンタルヤ博物館に展示されています。この小さな町は地中海エリアを通じて経済的に発展しました。最も輸出されたものは塩で、近くのカプリア湖で採られていました。ここから地中海世界へ運ばれ、またその輸送機関として川が利用されていました。塩のほかにもワイン、オリーブ、オリーブオイルや他の穀物や新鮮なフルーツが町の財産源でした。またアスペンドスで飼育された馬は近東ならびに地中海世界で最も優れた馬だと言われていました。また敷物類やレモンの木で作った家具などもローマや他の地中海世界で人気があったものでした。また歴史上最も有名な人物として哲学者のディオドロスがおり、はだしで、長髪、こぎたない服装をした人物ながらピタゴラスの哲学の後継者として知られていました。

アスペンドスはまたビザンチン時代ならびにセルチュク時代にも存在した町で、セルチュク時代には大劇場の大規模な修復が行われています。このセルチュク時代に行われた修復ならびに保存によってこの劇場はケルバンサライとしても使用されていたといわれています。

クサントス

クサントスは古代リキアで最も大きな町のひとつでした。ペルシア軍が侵入してくるまでの間クサントスは独立を保っていました。ペルシア軍の攻撃に屈したあとクサントスの人々は殺されてしまいました。生き残った80の家族がこの地に定住し、町を再び建設しはじめました。しかし、その100年後、この町は大火災により再び崩壊してしまいました。

この町はリキアのほぼ中心部につくられており、ローマ時代につくられた町の中心地が遺跡として残っています。ローマ劇場や劇場の西側にある建物などが今でも観光可能です。ここから発見された美術品のコピーはイギリスの大英博物館に展示されています。