アタチュルク霊廟にある博物館は3つの部門に分かれています。最初はアタチュルクに関する博物館でアタチュルクの公私にわたる品物、国内外からの贈り物ならびに資料や写真などが展示されています。二つ目の部門はチャナッカレ(ダーダネル)戦争についてです。大砲や拳銃などを展示した部門ならびに3Dにて戦争の様子を体験できるような仕組みの場所に分かれています。3つ目の部門は1919年の独立戦争から1938年にアタチュルクが亡くなるまでの間に起こった出来事などについて紹介されています。

1997年にヨーロッパの優良博物館に選ばれたアナトリア文明博物館はアンカラ城塞のある丘の上に位置しています。2つのオスマン時代につくられた建物を利用してつくられています。アタチュルクの命によってアナトリアの歴史を伝える博物館がつくられました。またここはヒッタイト文明を伝える博物館としても有名でハットゥシャシュから出土したものの展示もされています。
博物館には旧石器、新石器時代、銅石器時代、後期青銅器時代、ヒッタイト、フリギア、ウラルトゥ後期ヒッタイトのセクションがあります。

アンタルヤ地方の歴史は旧石器時代に始まります。ホメロスの叙事詩イリアスにも出てくるアンタルヤは紀元前1200年あたりからパンフィリアと呼ばれ人々が生活していたことがわかっています。またペルシア王国の跡に、アレクサンダー大王によって、その後はリディア王国によって統治されていました。パンフィリアの西部は紀元前2世紀にペルガモンのアッタロス2世によって征服され、彼の名をとってアッタリアと名づけられました。アッタロス3世の死後、ローマ帝国に征服され、4世紀にはビザンチン帝国の中に組み込まれました。その後1207年にセルチュク朝に征服されるとトルコ・イスラム時代が始まり、14世紀の終わりにはオスマン帝国の支配下に入りました。
第一次世界大戦後、アンタルヤはイタリア軍に征服されていました。イタリアの考古学者がイタリア大使館ならびに周辺の考古学的に価値があるものを探しはじめました。これらの取り組みを防止するために、スレイマンFフィクリ画1919年に州知事の管轄に適用され、彼が中心部に残ったもの集めることによりアンタルヤ博物館を設立しました。
はじめに1922年にアラッディンモスク内に博物館が併設されました。その後イブリモスク内に移転し、1972年に現在の場所に落ち着きました。もっと多くの人が訪問できるように改築や再構成がなされ最終的に1985年の4月に現在の形で公開されるようになりました。
現在この博物館には合計13のホールがあり地域、年代順に作品が展示されています。
ボドルム海底博物館は1964年にボドルム城内に設立されました。城の修復が終わり、現在では14のホールがボドルム博物館の中にはあります。名前の通り海底から出てきた作品などの展示が行われています。
ガラス製品の展示をしたガラス・ホールは1986年にガラス製品を製造するパシャバフチェ社の協力のもとオープンしました。暗い室内で照明に照らされながらの展示です。これはガラスの色をもっと認識してもらうための工夫です。紀元前14世紀から紀元後11世紀までの作品が展示されています。また展示室には水槽もあり、小さいながらも海底での発掘物について説明がなされています。
海底から発掘されたすべての展示物は1984年から1995年にかけてウルブルンから見つけられたもので、1999年にオープンしたウルブルン・ホールにて展示されています。ジェマル・プラックとテキサス大学ならびに海底学研究所の指揮のもと世界で最も古い難破船は紀元前14世紀のものと判明しており、1982年にオウズ・アルプオゼンとボドルム海底学博物館の指揮のもと見つかったものです。

多くの煙突の妖精や教会が残っているギョレメの野外博物館内にはトカル教会、修道院、聖バジルの教会、りんごの教会、聖バルバラ教会などがあり、観光客に人気がある場所です。

ブドウとワインの産地ウルギュップの西北に位置するローズバレー内には教会や面白い形をした岩があります。特に夕暮れ時に様々な色に変化しすばらしい景色をみることができます。
ウルギュップから約5キロの場所に位置するムスタファパシャは19世紀の後半に立てられたファザード彫刻の美しい石つくりの家が残る小さな町です。シナソスは第一次世界大戦前にギリシア人が住んでいた場所で、ウルギュップから簡単に行くことができます。19世紀の神学校や教会などが残っています。
サルハン隊商宿はウルギュプの北約10キロの場所に位置しセルチュク朝のスルタンアラッディン・ケイクバットによって1217年に建てられています。セルチュクトルコ時代の建築様式をもつこの建物、広大な中庭を持ち、そこは旅行者や同伴の動物などの宿泊場所として使われていました。1980年代に修復が行われ、現在ではセマー回転舞踊のパーフォーマンスが披露されています。
ギョレメの谷から南東に3キロの場所に位置するオルタヒサールは約50メートルの高さの岩でできた城で知られており、はるか遠くから目にすることができます。
アヴァノスから約5キロほど離れた場所に位置するゼルベはアクテペの丘の北斜面に面しています。3つの渓谷から構成されており、妖精の煙突といわれる岩が集まるエリアにあります。9世紀から13世紀にかけてゼルベでキリスト教徒の共同体が生まれ、キリスト教の中心地となっていました。
アタトゥルクが1935年にアラジャホユックの発掘に手がけたときから、チョルムとその周辺の地方は考古学的に注目されているエリアでもあります。アラジャホユックの発掘がはじまった同時期に、ボアズキョイ、オルタキョイ、エスキヤパル、パザルル、クシュサライならびにアリシャルホユックで出土した作品を展示したチョルム考古学博物館はそのコレクションの豊富さでも知られています。1968年にオープンして以来、さらにコレクションの数を増やしていっています。考古学的なことのほかに、この博物館は民俗学的にも優れた内容をもち、地元の文化や生活をよく表現しています。
ヒッタイトの首都・ハットゥシャシュ地域にて1966年につくられたボアズキョイ博物館はチョルム博物館に併合されています。

ゼウグマは現在のガジアンテップから約45キロメートルの場所に位置する、古代商業都市です。ゼウグマはローマ時代の別荘地であり、モザイク画にて有名です。ゼウグマはビレジック・ダムの建設の際に水没する可能性があることで、人々の注目を浴びました。ローマの別荘の大部分は2000年の発掘により日の目をみることになりました。ただし、1987年にはじまった発掘調査全体からはまだほんの少しのモザイクしか発見されていません。
今日、ゼウグマモザイク博物館は500平方メートルの広さに、1.5センチ長のブロンズ像のマルスとアフロディーテをはじめとして35のモザイクパネルが展示されています。世界で2番目に大きいモザイク博物館でもあります。

1932年にハタイにて科学的な発掘調査がはじまり、2~3世紀にかけてのアントニウスやセヴェリウスの時代のローマ美術が集められました。ローマやビザンチン時代のモザイクが見つかり、ゼウス、テティス、オカエノス、アポロン、エロス、アフロディーテなどのギリシア神話にでてくる作品が見つかっています。ハタイ考古学博物館の建設は1934年にはじまり、フランスの考古学者プロストのもと1932年に古代アンティオキアの発掘がはじまりました。1938年に博物館の建設が終わり、その一年後にハタイ県はトルコに統合されています。博物館は1948年にオープンしたあと、1975年には再び構成を変えています。
ハタイ考古学博物館のこれクッションは7つの部屋と2つのホールにて展示されており、出土した場所ごとに分けて展示されています。部屋は大きな窓がり、高さも十分なもので自然の光が十分に取り込めるような構成になっています。ほとんどの展示品にはトルコ語と英語での説明がなされています。
アンタクヤ博物館の中で最も有名なモザイクはメガロプシキア・フントのモザイクで、紀元前450年から475年にかけての大きなものです。ダフネのそばのヤクトから見つかったもので、古代のアンティオクとダフネでの毎日の行動や田園風景を描いたものです。これは考古学者にとって古代都市の構成を知るてがかりとして重要な情報源として扱われています。
2世紀頃の作品と思われるピシケの船、飲酒コンテスト、古代料理のフルコース、幻想的な悪魔の目のモザイクなどを含んだモザイク画も必見です。

イスタンブール考古学博物館はスルタンアフメット地区のギュルハネ公園の入り口に位置しており、トプカプ宮殿を博物館としてオープンしたオスマン・ハムディがトルコ共和国の文化庁大臣になったときに直轄の博物館としてオープンしました。
イスタンブール考古学博物館は考古学博物館、古代オリエント博物館、ならびにタイル博物館(陶器の館)の3つの部門から構成されています。
19世紀の終わりに有名な芸術家であり博物館責任者であるオスマン・ハムディの指揮によって皇帝付き博物館として設立されたあと、1891年6月13日に一般公開されはじめました。最初のトルコでの博物館としての重要性に加えて、世界の博物館の中で博物館として使用するためにつくられた建築物としても重要で特別なものです。多くの文化に属する何万点にもおよぶ作品で世界の大きな博物館の中でも際立った位置付けにあります。
作品はバルカン半島からアフリカまでの、アナトリア地方やメソポタミアからオスマン帝国の国境でもあったアラブ半島、アフガニスタンにまで及ぶ様々な文明に属す重要な作品が展示されています。

カーリエ博物館はイスタンブールのエディルネ門あたりに位置しています。カーリエとは古代ギリシア語で‘町の外側’こと。城壁の外側に教会が存在していたことがいくつかの文献よりわかっています。初めのカーリエ教会はユスティニアヌス帝によって作られました。11世紀の終わりには皇帝アレックス1世の義理の母であるマリア・ドゥカイナによって再建されています。13世紀から14世紀にかけてモザイク画が描かれています。その後オスマントルコ帝国時代にはモスクとして改修され、そのときにモザイクがは漆喰で塗りつぶされています。その後20世紀になってアメリカのビザンチン建築を研究する機構の調査によって発見されたあと、モザイクやフレスコ画を再び目にすることができるようになりました。
カーリエ博物館のモザイクやフレスコ画は14世紀の後期ビザンチン芸術の最も美しい作品の好例といわれています。イエスの生涯や聖母マリアについてのモザイク画などがあります。その中でも最も美しい作品は三位一体像と呼ばれているもの。

アヤソフィアは世界の建築物の中でも独特の構成をもつものとして数えられています。その壮大で機能的なつくりはオットマン時代の数多くのモスクの好例とも言われています。東洋と西洋の間の例外的な統合の歴史を持つローマ時代の建築様式をもち、キリスト教時代のモザイクやオスマン帝国時代の構造が加えられたアヤソフィアは今日まで残っている建築物の中で世界でも異例なものです。
アヤソフィアは916年の間キリスト教世界のお祈りの場として使用され、のちにモスクとして改造されたあとは481年にわたりイスラム教徒たちが使用していました。1935年にアヤソフィア博物館として再度公開されはじめ、現在までの多くの人々を魅了しています。
1453年にイスタンブールが征服されたあと、トルコの時代がスタートしました。その後何度か改修が行われています。ミフラーブを囲む芸術的な作品はトルコ陶器と細密画でできており、トルコ芸術の好例となっています。直径7.5メートルのコーランの内容を示した丸判が飾られていますが、これは有名なオスマン帝国時代のムスタファ・イゼット・エフェンディの作品でもあります。丸版にはアッラー(神)、預言者ムハンマド、オメル、オスマン、アリ、ハサン、エブル・ベキルとフセインの名が書かれています。ミフラーブの横にはオスマン帝国時代の偉大なスルタンたちの名前が描かれています。

イスタンブール近代美術館は2004年にボスフォラス海峡沿いにおよそ8000平方メートルの広さをもつトルコで最初の私立の近代・コンテンポラリー博物館としてオープンしました。この美術館は近代・コンテンポラリー美術の収集・展示・資料作成においてグローバルな視野にたっているのが特徴です。
国際的な芸術センスでトルコの想像力を総合したこの美術館は多くの活動を支援しています。一時的なもしくは永久的な作品の展示のほかに写真ギャラリー、図書館、シネマセンター、カフェ、ショップ、ビデオルーム、ならびに教育的社会的プログラムにより幅広いサービスを提供しています。

イスタンブールの歴史的半島の先端、マルマラ海とボスフォラス海峡を見下ろすところに位置しているのがトプカプ宮殿。宮殿は城塞で固められており、メインゲートは陸側に位置しています。この建物は1451年から81年にかけて征服王メフメット2世の時代に最初に建設が始まったものです。現在の内部の構成はのちの時代に形成されたもので、トプカプ宮殿はオスマン帝国時代において、1856年のメフメット2世の時代からアブドゥルメジトがドルマバフチェに移るまでの間、スルタンたちの公式の居城として、また政治の中心地として使用されていました。
外部、内部ならびにハレムの3つの部門を合わせて10000人以上の人口を抱えるようになりました。その為必要に応じて増築がなされ、18世紀になってトプカプ宮殿が最終的な形に落ち着きました。そのため、15世紀から19世紀中ごろのオスマン建築の様々な例をみることができます。15世紀から17世紀にかけてはいたってシンプルな様式、その後の18-19世紀にはもっと複雑な内部ならびに外部構造を備えるようになりました。
トプカプ宮殿は1924年に博物館として使用されるようになりました。はれむやバグダット・パビリオン、ソファ・パビリオン、観衆の部屋などのような一部の場所はその建築様式により、また他の部門は宮廷生活をよく反映しています。また博物館では様々なコレクションの展示がされています。

エフェソス博物館はセルチュクの聖ヨハネのバジリカのそばに位置しており、エフェソス遺跡からの出土品を展示しています。主な見所はエフェスのアルテミス像とフレスコならびにモザイク画です。
博物館に入るとローマ時代の模倣の家が展示されており、エフェスで暮らした中産階級の人々の生活を想像することができます。興味深いものとしては3世紀のソクラテスのフレスコ画や2世紀の泉から出土したドルフィンに乗ったエロス像などがあります。エジプトに起源をもつものとして、母親や子供を守る神・ベスなども展示されています。
博物館のハイライトとしては、ふたつのアルテミス像があります。一つは打つくしのアルテミスと呼ばれ1世紀のもの、もうひとつは偉大なアルテミスと呼ばれ2世紀のものです。

コンヤの中心からさほど離れていないところに位置しているメブラーナ博物館はイスラム神秘主義教団の本拠地として使われていた場所で、青緑色のタイルで覆われた丸屋根を持つ建物は特徴的です。メブラーナ(ルーミ)はセルチュクトルコ時代の偉大な神秘主義者。天と地と一体になる回転舞踊でも有名です。
入り口から靴を脱いで室内にはいるとメブラーナの棺が置かれており、聖職者の証でもある大きなターバンが棺の上に巻かれているのが印象的です。
室内にはメブラーナが使用していたという衣装や楽器をはじめ、コーランの写本やムハンマドのあごひげをいれた箱なども展示されています。
